3個の台風
猛烈に降っている
台風9号と10号、そして、途中で台風に変わったのとがやってきている
平年なら一月分に相当する量を、あっという間に超えて、降るようだ
雷がなりそうだ、と思ったら、直後にゴロゴロとなった
外は真っ暗。不安はないのに、不安な気持ちにさせられる。
こんなときに地震でもあったらどうなるんだろう
自分一人の浅知恵ではどうにもならないかもしれない
都から配られた防災に備えての冊子も、都会人の考えること
田舎育ちには、なにか感覚がちがう
下に降りられなくなる前に、お年寄り世帯は、どこかホテルの低層階か、
低層の家屋で動きがとれるところに、しばし移動しているのが良いかもしれない
今はまだそういう人たちも動きがとれる
でも、時期、そのお世話ができない人の方が多くなる
介護の現場を何人かで手分けして覗いてあるいて、介護者自体が高齢化しつつあることに不安を抱く
この人たちはまだ使命感や精神主義が通用した世代だ。だから、いざというときも、使命と道徳だけで動く
若い世代にもそれを押し付けるから、育たない
今回のオリンピックの柔道の快挙とその前の監督の結果と、これとよく似ている
後者は古代人の思考であり、バッチワーク処理型の判断の蓄積であり、前者は人格というものの発達がもっと進んでいる。
だから、やり方次第でもっと伸びもすれば、やる気を形にできなかったりもする
福祉の現場から見えてきたものにも、それがあった
精神主義世代はもう間もなく働けなくなる。でも、人手は足りていない
外国人労働者は所詮は労働力としてサービスを提供するだけだ
一握りの人間は金を出せば、人間を厳選すれば、自分のところは人材を確保できると思っている
でも金で動く人は所詮は自分のために動く人。希少な日本語が理解できる介護士など、どれほどの社会的評価を得られているだろう
糞尿と便臭との戦い、職員との理性と高齢者や精神主義世代の反理性との戦い、そんなものに進んで揉まれようなんていう若い世代は希有であろう
とある大地震のときに、ある学生たちが、見て見ぬふりをして逃げた、でもそうするしかなかったってわけでもなかった、だけど、誰もが自然とそんな気持ちにしかなれなかった、これってほんとに自分なんだな、と思った、と話してくれた。
正直で素直な青年たちだった。でも、これが正しい気持ちのあらわれなら、行動はそうなって無理もない話なのだ
理想論を突っ走って、現実論を組み上げようとしないできたんじゃないだろうか?でも、おまえは引っ込んでろ、自分たちがやるんだ、と言っていた人たちではないか?できたのか?3個の台風は、今度は社会のなかで待っていそうな気がしているのだが?
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