「常識」と「公的なもの」と
http://lite.blogos.com/article/187026/
⭕国家の公的慰霊
こうした形が、今現在のところとして、もっとも順当かつ妥当なやり方だろう、と思います。
これを、
➡順次、国家的な慰霊施設で行われるものとして、国家的な慰霊施設そのものを整えてゆくことが求められるだろう
➡近隣諸国との関係も考慮に入れた上で、それぞれの国の戦没者慰霊の式典に、継続して、招待、参加し合えるような方向作りが望ましいと考える
http://www.iza.ne.jp/smp/kiji/politics/news/160815/plt16081512580029-s.html
脱・宗教施設をきちんと確立していないものは、その常識を覆してしまう➡だから❌
⬅わが国には、いまだに国家的な慰霊施設として認められたものは存在していない。
⬅そのような施設が将来的に整えられることが必要である、とぼくも考えるけれど、
⬅それは国家の施設であり、特定の宗教団体と財政上、儀式上、結び付いたものであることは常識とは言えない