空き家と保育 メモ

http://lite-ra.com/i/2016/07/post-2436-entry_4.html

 

こんな記事を見つけたのだが、その通りだとしたら、少し世間を見くびった話であることである。

 

都内に空き家は確かに多い。でも、その空き家に住めと言われて、住みたいだろうか?と考えると、少し複雑な気持ちになる人の方が多いんじゃなかろうか。地方の空き家とは違う。

 

しかも、わざわざ保育をしに、空き家だったという家を改造した保育施設に、住み込みで、東京に出てこよう、という保育士はどれだけいるだろう。

 

東京にカジノをという発想もそうだし、この保育士に対する感覚もそうだけれど、ぼくは、そうした認識は甘い、と思う。

 

でも、近頃の都政は、鶴の一声でも鳩の一声でも、狸や狐の一声でも動かせるようだから、彼女の言う通りに動き出すのかもしれない。

 

ぼくは、これは都政だけの問題ではない、と思う。カジノのこともそうだし、これもそうだし、どうも、この方は、何でも東京集中型で、このままやっていける、とお考えのようだけれど、それは見えていない狭量な視界からの答だと、ぼくには映る。

 

地方との連携、国家全体のバランスのとれた国土利用と生活圏の構築という視野が必要なんじゃないか。ぼくは、そう考えるのである。

 

かつて、ぼくも含めた同世代が若かった頃、増田先生のレクチャーで、三都五府の構想と道州制の考えをお聞きしたときに、ぼくらの頭のなかに受け継がれた思想も、そこにあったことを思い起こす。

 

橋下さんが大阪も都にしよう、と頑張っておられたことも、地方を活性化させよう、と何人もの先生方が頑張っておられたのも、やはり同じ視界が開かれた認識からなのではなかっただろうか。

 

この問題は、都政だけからの視界で答を出して良い問題領域ではないだろう。国土全体の視野に立って、論議を尽くして当たらねばならないし、財界各界のお考えとも調整して、方向をだしてゆかなければならない問題だと、ぼくは受け止めている。

 

果たして、思った通りにやって、うまく収拾が着くか否か、ぼくは必ずしも支持する立場ではない。しかし、それについては、ここでは触れないでおこう。

 

メモ書きとして

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